大正から昭和の初期にかけては、遺伝や病気にまつわる疑似科学が異常に流行った時代でもあった。冠婚葬祭マニュアルも例外ではない、というよりも結婚こそ、この手の情報が現実的に機能する場だったといってもよいのではなかろうか。それは理想の相手の選び方、という形で登場する。いわく、早婚も問題だが、不婚や遅婚は心身に異常をきたし、疾病の原因となり、また品行が乱れるので花柳病をまねく。〈癩病或は癌の血統であるかどうか、結核患者が血族の間あったかどうか〉を調べること。また、家族が長命であることは重要である。〈結婚者当人の体格及び体質は要件中の最要件〉(『結婚礼式一切の智識』)であって、美醜よりも健康かどうか、つまり、姿勢、筋肉のつき方、血色(光沢)をチェックしろという。〈営養の外貌に現はるゝ表徴は、即ち血色又は光沢の如何にあります。この光沢の美悪は詰り営養の美悪の徴候で、光沢の善良なる者でなければ決して健康な人と云ふことは出来ません〉(同前)などというのだから、まるで馬か牛の鑑定だ。加えて「病的若しくは変態」の「遺伝的素質」が列挙されるのである。「神経質性素質」「ヒステリー性素質」「意志薄弱素質」「感情爽快素質」「感情沈岩素質」「精神乖離素質」。中身は、ちょっと神経質、ちょっと感情的、ちょっとずぼら、といった程度の要するに性格の話だったりするのだが、それをことさらに「遺伝」と呼ぶ。こういうのを何と称すか、心ある人なら知っているだろう。そう、優生思想である。
胞衣についての不思議な言い伝えは、現在も各地で伝承されている。近年、科学的にも胞衣の要素にさまざまな効用が認められており、ひと昔前には、重病の折にそれまで保存しておいた胞衣を煮て、それを服用すると病気が治るといわれていたが、これにも十分根拠のあることがわかってきた。胞衣についての習俗に、たとえば以前エナワライというのがあった。出産時にでてきた胞衣を埋めに行く者が笑って帰るという風習である。沖縄ではそれをエナワライといった。あたかもエナを赤子の分身のように考えている態度である。これは、名付けの祝いの折に、父親が胞衣をかまどの後ろの軒下に埋め、「上ン下ン笑いそうり、よーい」というと、皆が一斉に笑ったという。また出産直後やあるいは半日を経たあと軒下にエナを埋めると、分身と思われている子ははじめにその上を越したものを一生怖れるので、虫などが通るのに先んじて父親がまずその上をまたぐといっていた(民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』平凡社、一九五五−五六年)。
動作は言葉よりも気持ちを語る。信頼される仕事をしたければ、好印象を与えるしぐさを身につけることも大切だ。相手への気づかいは「書類を受け取る」「相手の話を聞く」などの、日常的な行動にも表れる。それは「大丈夫です、任せてください」「あなたの話に興味があるのでもっと聞かせてください」というポジティブなメッセージを発し、相手を安心させてコミュニケーションを円滑にする。逆に、言葉では「わかりました」と言っていても、身体の向きや視線がともなっていなければ、相手に不信感を抱かせることになる。電車の中でお年寄りに席を譲る人を例に挙げれば、さりげなく譲っている人ほど、ほとんど言葉はない。しぐさや表情で、「お荷物重そうですね。ご遠慮なさらず、どうぞおかけください」と語りかけ、気持ちを相手に届けているのだ。「この商品はこんなにすばらしいんです」「このサービスをあなたのためにご用意しました」「いつもご愛用いただき、ありがとうございます」というメッセージをより確実に届けるためにも、動作を味方につけていこう。
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